STORY Vol.2
「朝は、ごはんにたっぷり
乗せた塩⾟が⽋かせない」
宮城県気仙沼市
三浦 ⼀樹さん
「昔ながらの濃厚熟成塩⾟」について地元・気仙沼の⽅々はどう評価されているのでしょうか?どんなふうに⾷べているのでしょう?
お客様の実際の⾷卓を⾒せてもらいながら話を伺いました。
朝ごはんはいつも、
塩⾟を味わうことから。
新聞記者を⻑くやってますが初ですよ、⾷レポ的なやつは。⾷レポじゃないか(笑)
うちの朝⾷は、普段だいたいこんな感じです。わたしは気仙沼⽣まれなんで、塩⾟とお刺⾝は、朝も⽋かせないですね。
わたしは、「昔ながら」を⾷べる時は、ごはんに乗せちゃいます。割とガッツリ乗せます。こんな感じですかね。撮られてると緊張しますね(笑)。もう⾷べていいですか?
塩⾟は、ごはんと混ぜたりしないですね。ごはんごと⾷べます。で、塩⾟が無くなったら⾜してゆく。
塩⾟の上にさらに
シラスなどを乗せて。
塩⾟だけでまず⾷べた後は、塩⾟の上に他のものも乗せるんですよ。
釜あげシラスを塩⾟に乗せて⼀緒に⾷べるのはけっこうやります。海苔でもよく巻きますね。
とにかくいろんなものと⼀緒に⾷べる。最初は塩⾟だけを楽しみつつ、あとで⾜していくのが好きですね。他にもメカブや卵焼きを乗せたりとか。多く⾷べる時は、お茶碗2杯ぐらい⾷べますね。
だから「昔ながら」は、かなり⾷べてます。家族には必ず買い置きしてもらってます。ここは気仙沼なんで、幸い近くのスーパーでも普通に売られているので、すごく助かってます。よその塩⾟より少々値は張りますが、美味しいからしょうがない(笑)
新聞記者歴23年。
気仙沼の取材⼀筋。
わたしの仕事は、気仙沼市や南三陸町などのニュースを報道する「三陸新報」という新聞の記者です。平成11年(1999年)4⽉⼊社なので24年⽬かな。⾼校の卒業式が3⽉1⽇だったんですけど、卒業式の翌⽇から研修が始まって、その⽇から取材現場に⾏ってました。最初の⽇から記事を書いて、今年42歳ですが、今⽇まで記者⼀筋です。
仕事柄、気仙沼のことはすごくよく知っているんですが、逆に気仙沼のことしか知らないようなところがあって。若い頃は、なんとなく恥ずかしかったですね。
でも東⽇本⼤震災後に、いろんな⽅とのご縁が⽣まれて、東京や他の地域の⼈たちとお付き合いさせていただく中で、むしろ「地元のことをよく知っている」ことが⾃分ならではの個性であり価値なんだなって、やっと思えました。それからはもう気仙沼、気仙沼しか⾔わないくらい(笑)
やっぱりね、気仙沼が地元、故郷なんで。気仙沼あっての⾃分ですからね。仕事上もそうですが、なんと⾔うか気仙沼とはもう⼀⼼同体。そんな感じですね。
気仙沼は塩⾟⽣産量が
国内トップクラス。
塩⾟のことで⾔えば、他の地域の皆さんに意外と知られてないことがあって。実は気仙沼は、イカの塩⾟の⽣産量では⽇本でトップクラスなんです。気仙沼は港があるだけでなく、昔から⽔産加⼯の技術が⾼かったので、気仙沼で作られたイカの塩⾟が⽇本の各地で売られるようになって、全国に広がったと⾔われています。
「昔ながら」は、
幼い頃の塩⾟に近い味。
気仙沼の家庭では、⾷卓には昔からだいたい塩⾟が並んでいたと思います。うちは家で作るのではなく買ってきた塩⾟でしたが、⾷卓には当たり前のように置かれていました。
それで、⼦どもの頃からずっといろんなメーカーの塩⾟を⾷べてきたんですけど、ある時「昔ながら」を⾷べてみたら、「昔ながら」と⾔われるだけあって、⼩さい頃に⾷べていたような味だと思って。濃厚さとか、肝の味がちゃんとするとか。 やっぱり、これが⼀番近いんですよね。それって何でなんだろうなとは思うんですけど。「あ、ちっちゃい頃に⾷べてたのと⼀緒だ」っていう感じですよ。それからは、ずっと「昔ながら」ですね。
避難所で知った
「ごはんの友」のありがたさ。
震災では我が家も被災して、避難所だった体育館に2か⽉ほど居ました。
忘れられないのは、震災の当⽇の夜、避難所でおにぎりが配られたことです。⽩⽶だけです、具なし。それでも、久々に⼝に⼊れた⾷べ物だったので、すごく美味しかったんです。2⽇⽬、3⽇⽬も⾷べられるのは、そのおにぎりだけです。でも、だんだん飽きてくるんですよ。その時に、たまたまもらったのが「ふりかけ」でした。それだけで全然違いました。忘れないですね。
付け合せ的なものが⽇を追うごとに増えてきて、佃煮とかもあったかなあ。それをごはんと⼀緒に⾷べた時の、なんて⾔うんですか、ひと味加えられるありがたさっていうか。
当時の避難所では毎⽇おにぎりを⾷べてたんですけど、「ごはんの友」のありがたさに、あらためて気づかされました。「今⽇は何と⼀緒に⾷べられるんだろう?」と考えることが本当に楽しみでした。塩⾟は⽣なので当時は⼿に⼊らなかったんですけど、「ごはんの友」のありがたみ。あれは身に染みましたね。
家族と⾷卓を囲む。
当たり前の⽇常がある幸せ。
被災して2か⽉ぐらいした頃に、たまたまご縁があって、この家が⾒つかりました。その際に、それまでは別々に暮らしていた実家の両親とも⼀緒に暮らすようになり、⾷事も⼀緒に取るようになりま した。
まあ、ありきたりですけど、⾷卓を囲む「当たり前の⽇常がある幸せ」って⾔うのかな、それを感じましたね。毎朝、家 族と⼀緒に⾷べられるのって、すごくありがたい。やっぱり、当たり前じゃないんだなって。当時は特に、そう思ってましたね。
被災地に波座が物資を
届けに来てくれた。
波座さんは、避難所だった体育館に物資を届けに来てくれましたよね。震災から1週間、2週間ぐらい経った頃だったか。うれしかったですよね。「波座」と書かれたトラックが⼊ってくるのを⽬にした時のこと。よく覚えてます。
波座の⼯場が再建されて、「昔ながら」がようやく復活して商品ができた時にも、最初に気仙沼の市⺠会館で被災者の皆さんに無料で配布したんですよね。⾏列ができました。取材させてもらったんですが、「やっぱりまずは被災者の皆さんに届けたい」ということでした。あれも懐かしいですね。
塩⾟は脇役だけど、
ごはんの引き⽴て役。
塩⾟は、ごはんにとっては脇役かもしれないですけど、でも引き⽴ててくれる。だからわたしは、⾷卓に無いとなんとなく落ち着かないですね。
うちでは、朝の光景なんですよ。塩⾟を⾷べる⾷べないは別として、⾷卓に置かれていないと、当たり前の⽇常の⾵景じゃない。無いとダメです。
おかずもいろいろ並んでるのが好きなんですよ。避難所での経験があるからかも知れないですけど。あの頃はおかずに 飢えていたので、安⼼できないんですよね。中でも、何はなくとも塩⾟かな(笑)
取材を終えて。
波座・朝田慶太
⾷卓に⽋かせない存在に
なっていること、社員に伝えます!
三浦さん、貴重なお話、懐かしいお話をありがとうございました。塩⾟がお客様からそんなふうに思っていただけている存在になっていたことは、伺ってみないとわからないことでした。
わたしたちは、塩⾟を⼀⽣懸命作って、⼀⽣懸命販売することだけを常に考えてやってきましたが、そんな想いで買ってくださっているお客様がいらっしゃることは、⼤きな励みとなります。胸に刻んでおきます。会社のみんなにも伝えたいと思います。