親子で受け継がれていく想い
「この塩辛に
終わりはないんです」

元工場長・相談役

大原富夫OHARA TOMIO

工場長

大原浩司OHARA KOJI

そもそも、他の塩辛とは何が違うのですか?

富夫

この塩辛で一番大事なのは、いかの内臓、肝です。肝で食べる塩辛なんです。
スーパーなどで売られている塩辛の多くは、調味料の添加物で味を付けています。
この「昔ながらの濃厚熟成塩辛」は、最低限必要な微量の添加物は入ってますが、肝の味です。

浩司

普通の塩辛は、肝が入っているものでも塩辛全体の10%くらい。「昔ながら」は約20%です。2倍入ってます。

富夫

だから、肝が新鮮で、美味しくないとダメなんですよ。
調味料を入れて味を付けるんだったら、ある程度の品質の肝でも使えるんですけど、「昔ながら」だけはダメです。
「昔ながら」の命は、肝です。肝の味。

そうすると、色も肝の色ですか?

富夫

よく売られてる塩辛のピンク色は、着色料で色を付けてるんです。
「昔ながら」は、肝の色のまんま。だから、少し黒っぽいんです。

では、「気仙沼の昔ながらの作り方」は?

富夫

「いかを陰干しして、水分を抜いてから作る」というのが、気仙沼の昔ながらの作り方です。
それで、同じように干してから仕込む方法で保存のきく商品を作ろうと開発を始めたら、大変なことだったんですよ(笑)。家庭の作り方だと、品質が1週間も持たないですから。

今の方法が見つかるまで、それこそ、いろんな乾燥法をやりました。
最初はいかを洗濯バサミで上から吊るして、下でボイラー焚いたりもしました。
いろいろな方法を試して、今の乾燥機で乾かす方法にたどり着きました。

でも、同じ量を干しても、乾燥率は毎日違うんですよ。湿度・温度が同じ日はありません。
一定の乾燥率にできるようになるまで、ものすごく苦労しました。

どうして、一夜干しをするのですか?

浩司

干すことによって、いかの旨味が出てきます。旨味が凝縮される。干しするめとか、干物と同じですね。
しかも、樽で仕込んでいる間に、乾いたいかが水分を含んで戻っていき、肝の旨味も身に染み込んでいきます。

富夫

いかから出てきた旨味と肝の旨味がからみ合って、いい味になるんです。
乾燥させてから身が元に戻るまで1週間やそこらでは戻らないし、肝の旨味も身にしっかり入りません。
漬け込む期間は、だんだんだんだん長くしていったんです。それで、肝の旨味が身にも染み込んで、熟成された美味しさになるのは、30日から45日程度だとようやく分かりました。

昔ながらの塩辛を目指しているうちに、
ずいぶん遠いところまで来ちゃいましたね(笑)

富夫

ただ、「昔ながら」をずっと食べてくれている気仙沼の人には、「世の中で売られている塩辛の中で、気仙沼の家庭の味に一番近い塩辛」って言われます。

富夫

開発を始めたのは、1993年からなんですよ。商品化して、1997年に宮城県⽔産加⼯品品評会に出してみたら、ありがたいことに「水産庁長官賞」という賞をいただきました。
でも当時は、なかなか味を安定させることができなくて、たまに「いつもと味が違う」というお叱りの声もいただいてました。安定して同じ美味しさにできるまで、7年かかりました。

そうやって地元・気仙沼で愛される塩辛になった後、震災が来たんですよね。

浩司

以前の工場は港の近くにあったので、全壊状態になりました。ただ幸い、従業員は全員無事でした。

富夫

仕込んでいた樽も機械も流されてしまいましたけど、日々のいかの乾燥率を記録していたノートだけは、作る時にどうしても必要なので、1人で腰まで水に浸かりながら工場へ探しに行ったら、後で息子に怒られました(笑)
結局、ノートは息子が探し出してきてくれました。

浩司

工場の2階に置いてあったので、全部では無いのですが、持ち帰ることができました。

震災直後はこれからどうなるのか不安でしたが、会社が工場は絶対に復活させると従業員に約束してくれました。
2年後、この場所に工場が再建されて、従業員も戻ってくることができました。

浩司

震災直後はこれからどうなるのか不安でしたが、会社が工場は絶対に復活させると従業員に約束してくれました。
2年後、この場所に工場が再建されて、従業員も戻ってくることができました。

富夫

工場が完成した時、従業員に訊いたんです。「何が一番食べたい?」って。
そうしたら、みんな、「昔ながら」が食べたいって言うんですよ。じゃあ、まず「昔ながら」を作ろう。そう決めました。

けれど、簡単じゃなかったんですよ。
工場の場所が違うということは、環境が違うんです。乾燥機も前とは違う。また1からやり直しです。前と同じ味になるまで、試行錯誤をどのくらいやってたかなぁ。

味の完成というのは、どうやって決めるんですか?

富夫

最終的には、舌です。

浩司

45日寝かせたら出来上がるというものならいいんですけど、同じ乾燥をかけても、毎日乾燥率には違いが出ます。
それが毎日なので、樽の熟成期間も毎回変わってしまいます。
乾燥時間は、乾燥させるいかのキロ数を計って決めますけど、身のカタチも厚さも全部違うので、乾きが早かったり遅かったりするので、全く同じように作ることはどうしてもできません。

富夫

乾き具合は、見た目で分かるもんでもないので、経験と勘ですね。
乾燥率は、なるべく目標数値の5%以内の誤差に収めるようにして、前の日に平均よりも乾き過ぎていれば、次の日は少し柔らかくします。それをブレンドするんです。

浩司

乾燥させた1回分だけで仕込むことは無いですね。基本的にブレンドして調整しています。

富夫

しかも、完全な商品にする仕上げの時もブレンドする。「昔ながら」の味になるよう、熟成させた身を混ぜ合わせて調整しています。

浩司

たいていは2日分の2つの樽から。場合によっては4日分を混ぜることもあります。

ブレンドを、2度も…。

富夫

「昔ながら」は、1+1が2になる塩辛じゃないんですよ。仕込みの肝が変わるだけで、味が変わってくるし。
終わりがないんです。この塩辛は。

長い道のりですね。

富夫

長いなんてもんじゃないですよ(笑)

味を受け継がれた浩司さんが、
今後やっていきたいことはありますか?

浩司

さらに美味しくすることはもちろん目指していきますが、職人技の商品とは言え、味が安定したものを作りたいんです。
父にいろいろ教えてもらいながら、味をさらに安定させる方法を探っていきたいと考えています。
味の進化というより、今はまず、味の均一化。工場を見ている立場としては、お客様への最終的な責任を担っています。
そういう立場として、「いつでも一番良い味を出せる」状態にするのが、私の一番の目標ですね。